ダ・エン・ルーを中心に半径40kmの範囲がパナン人の自治区である。中心都市以外はほぼジャングルでパナン人の住む集落が点在しているだけである。
中心都市とはいえ、人口は5万に満たず、妙にフルーティーな地酒以外たいした産業もないため基本的に貧しい。お金や食料を貰って政府軍に協力する集落も少数ながら存在している。
パナン人自治区の中心都市。山に囲まれている。パナン人がバーヌ人に追われる形で入植し、都市になった。古い建物を増改築して使用しているため町並みは雑多である。
バンナンで最も多数を占めるバーヌ人による迫害に抵抗するために組織された武力集団。最初のうちは主に首都でテロ行為をしていたが、それでは他の少数民族の賛同や国際的な支持を得られないとして一般市民を巻き込まないようゲリラ戦で軍事施設を襲撃する方針に切り替えた。
自治区が認められると来たるべく独立にそなえて軍としての組織の転換を図った。日本が武器商人経由で資金や、東欧製のAKやRPGを送ったりして裏で支援している。
バーヌ人はかつて行なったバーヌ王国を統一するための戦いで最後まで頑強に抵抗したパナン人を統一後に被差別階級とした。そのためパナン人は主にバーヌ人や他の民族の、失政に対する不満などの捌け口としてたびたび迫害される。
バンナン人民共和国において、第二次世界大戦で進駐した帝国陸軍の司令官、安本光哲大佐による略奪などの蛮行の記憶はまだ根強い上にバブル絶頂の頃の買春目的の観光客のイメージが重なり、他の東南アジア諸国と違って反日感情は無視できるレベルではなかった。
そのために軍情報部はバンナンに諜報員を派遣する際に苦慮する事になる。