パナン族は第二次世界大戦時に、バーヌ人による迫害の保護と引き換えに日本軍への支援を申し出て英軍に対する破壊工作などで活躍した。その事もあってパナン人自治区設立の際にも日本の有力な国会議員が関わったとも言われている。
そのため長らくの間経済支援などが続いていたが、バンナン人民共和国が北京条約機構に加盟する事になったために人民政府はその交流を拒絶し、後ろ盾を失ったパナン人への迫害が激しくなった。
そこで日本政府は政治難民として受け入れたパナン人に様々な教育を施そうとしたが、当時の野党は『政治難民の認定が甘すぎる』『満州国のような傀儡政権を建てる気か』などと批難したため、『人道的受け入れ』として入国させた子供たちに密かに教育を施す方針に切り替えた。
その第一弾としてパナン自治評議会から渇望されていたのが、Raiders乗りの育成であった。
中露による国境問題や、上海を中心とした華南地方などの分離独立で瓦解した上海協力機構に代わって北京政府が構想した軍事同盟。当初は華南共和国など中国から分裂した国々で構成されていたが、次第に周辺諸国に経済援助と引き換えの加盟を持ちかけはじめ、新たな膨張主義として日本やロシア、欧米諸国から警戒されている。
どこから撃たれるかわからないジャングルの中に潜むゲリラの対空射撃に対して、装甲の薄い軽量級Raidersでは被害が甚大になるため、それにかわって耐弾性に優れたR-17が対ゲリラ戦に投入された。
兵装コンテナの一部に燃料タンクを追加する改良を施し活動時間をのばした事により、Raidersによるジャングルの常時監視が可能になったためゲリラの活動が著しく制限されるようになった。